<熊野古道 中辺路 2007. 5. 20>

last update 22.May.2007

 熊野古道館で「熊野古道」について予習♪下記の「蟻の熊野詣」を参
照。昼食には昨日予約しておいた「菜心味庵 きた岡」へ。ここのご主
人は半端じゃない自然な暮らしを実践しておられる。蕎麦打ち、田畑、
にわとり、羊、薪割り、家も建てちゃう・・格好いい。午後は道の駅に
クルマを止めて「牛馬童子像」まで歩く。石像は思ったよりずっと小さ
かったけど、凛とした表情をしている。その後美術館の外観だけ見て〜
とがの木茶屋へ。意外に奥地にあった。そこから歩いて野中の清水、野
中の一方杉を見て〜秀衡桜(ひでひらざくら)の前で休息。もう夕方だ
った。中辺路はなにか空氣が違う。どのヒトに道を尋ねてもていねいな
対応だったのも印象的。ヒトも場所も空氣も景色もいいところ。


 下記、参考まで。

 蟻の熊野詣
 http://kumano.de-blog.jp/

 熊野路は、浄土への道であった。熊野をあこがれた人々が、たぎる信
仰を胸に、山を越え海沿いをよぎって行脚した。それは皇族から庶民ま
で、中世から近代にかけて果てしなく続いた「蟻の熊野詣」であった。

 この熊野路の名を高めたのは、平安中期から鎌倉後期にかけての熊野
御幸だった。延喜7年字多法皇から弘安4年亀山上皇まで実に374年間に
わたり、100回以上の御幸だったと言われている。

 早朝京都を出発、まず、淀川を船で大阪府下に入る。それから、陸路
南に向かい田辺、中辺路をたどって熊野本宮大社、熊野早玉大社、熊野
那智大社の順に参る長旅路である。

 往復の日数は、20日から1ヶ月一行の人数は、最大で814人、最小で
49人、平均300人前後にのぼったと言われている。

 上皇、法皇は白装束に杖という山伏に近い姿で、道筋の各所に設けら
れた「熊野九十九王子社」と総称される休憩所に立ち寄られたという。

*

 熊野古道とは
 http://www.mikumano.net/nyumon/kodou.html

 熊野古道とは、中世、日本最大の霊場であった熊野へと続く信仰の道。

 熊野はあらゆる人々を受け入れる聖地であったため、日本中のあらゆ
る階層の人々がこの道を歩きました。

 「蟻の熊野詣」と、蟻が餌と巣の間を行列を作って行き来する様にた
とえられるほどに、大勢の人々が列をなして、この道を熊野を目指して
歩きました。

 上皇や女院や貴族が歩き、武士や庶民も歩き、社会の底辺に生きる人
々も極楽往生や現世利益や治癒の奇跡を求めて歩きました。

 さまざまな人々がさまざまな思いを抱いて、さまざまな願いをこめて
歩いた祈りの道。それが熊野古道なのです。

*

 熊野古道−中辺路を歩く
 http://www.ken-tmr.com/kumano-nakaheji/kumano-nakaheji.html


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