<赤目自然農塾で農業体験>

last update 17.August.1997


  1997年 夏

 8月10日に赤目自然農塾で農作業をしてきました。晴れているのに突然雨が
降ってきたりして、しかしまたすぐに晴れて、なんていうくり返しが3回ほどあ
り、変化に富んだ空模様でした。今回は草刈りのみ行いました。草は地面すれす
れで刈っていきます。茎を残しますと、のちのちよけいに根をはってしまうこと
があるそうです。陸稲のすぐ横に寄り添うように雑草が生えており、稲を刈らな
いように気を使いました。稲の育ち具合は、少し小さめかな、というところです。
ほかの田んぼでは、よく育っている所もあって、うーん、負けてるかな、という
感じです。大豆はたいへん元気です。三度豆やキュウリは少し収穫しました。も
う黄色くなってしまったキュウリを包丁で切って食べましたが、なかなか美味で
した。三度豆やモロヘイヤの葉っぱもその場で食べてみましたが、なんだか原始
人になった気分でした。

 稲というのは、人間が品種改良を重ねた種であるために、相当過保護にしない
と、つまり手をかけてやらないと育たないもののようです。何もしないことを基
本方針とする自然農でさえ、これだけ手がかかるのですから。対する雑穀の方は、
放っておいてもたくましく育ってくれます。昔は五穀と言いました。米、麦、ひ
え、あわ、きび、そば、あれっ六穀だ。それはともかく、なぜみんなひえ、あわ、
きびを食べなくなってしまったのでしょう。米だけがおいしい、という幻想を誰
が植えつけたのでしょう。

 昔、化学肥料も農薬も除草剤もなかった時代は、農民にとって、あー5年前よ
りだいぶいい土になってきたなあ、というような歓びみたいなものが、あったの
ではないでしょうか。それが現代農法では、そこの土がどうあろうと、とりあえ
ず肥料まいて、病気がでたら農薬で対処して、ということになってしまいました。

 また、昔は雑草も刈っておいておけば堆肥として活用していたわけですが、今
は雑草は単なる敵で、何かと除草剤によって駆逐されるだけです。

 現代では、日本でも少品種大量生産が政策となってしまっていて、それをトラ
ックを始めとする流通機構を活用して、全国へ流しているわけです。それで、効
率が上がったと思っているのでしょうか。エネルギー消費から換算すれば、多分
効率は下がっているでしょう。

 でもここで考えてみますと、みんな効率なんか求めていないんですね。トラッ
クをつくる会社も石油輸入業者も企業ですから、常に稼いでいなくてはいけない
わけです。だから人間というのはエネルギーを使い、環境を破壊し、産業廃棄物
を不法投棄してまでも、お金を稼いで、経済活動を持続させているしかない、と
いう存在になってしまっているんです。

 だから、農業で言えば、多品種少量生産と小社会の復活が望まれます。地に足
のついた生活、物質ではなく精神的な充足をめざすことによって幸せになれるの
ではないでしょうか。地位や権力にあこがれたり、しがみついていてはだめでし
ょう。人間の欲望の際限のなさ、そのどうしようもなさに気づき、もっと違うと
ころに目を向けるべきではないでしょうか。自然へ還るしかないのでは、と思っ
ています。
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