天と地がはじめて開かれ動き始めたとき、 天上界の高天原(たかまのはら)に現われなされた神の名は、 天之御中主神(あめの みなかぬし のかみ)、 つぎは高御産巣日神(たかみ むすひ のかみ)、 そのつぎは神産巣日神(かみ むすひ のかみ)である。 この三人の神々は、いずれも単独神として、現われなさり、 はっきりとした姿をお見せになることはなかった。 つぎに、地上世界が若く、水に浮かんでいる脂のようで、 くらげのようにふわふわと漂う不安定な時に、 あたかも葦が芽を吹くようにきざし伸びるものによって 勢いよく萌え上がるものとともに現われなされた神の名は、 宇摩志阿斯詞備比古遅神、(うまし あしかび ひこじ のかみ) そのつぎは天之常立神(あめのとこ たち のかみ)である。 この二人の神もまた、単独神として現われなさり、 はっきりとした姿をお見せになることはなかった。 以上に述べた五人の神々は、 別天つ神(ことあまつかみ)という特別の存在である。 ☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆ 天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、 高天原(たかまのはら)に成れる神の名は、 天之御中主神(あめの みなかぬし のかみ)。 次に高御産巣日神(たかみ むすひ のかみ)、 次に神産巣日神(かみ むすひ のかみ)。 この三柱の神は、 並(みな)独神(ひとりがみ)と成り坐(ま)して、 身を隠したまいき。 次に、国稚(わか)く浮ける脂(あぶら)の如(ごと)くして、 くらげなすただよへる時に、 葦牙(あしかび)の如く 萌え騰(あが)れる物に因(よ)りて成れる神の名は、 宇摩志阿斯訶備比古遅神、(うまし あしかび ひこじ のかみ) 次に天之常立神(あめのとこ たち のかみ)。 此の二柱の神も亦(また)、独神と成り坐して、身を隠しき。 上(かみ)の件(くだり)の五柱(いつはしら)の神は、 別天津神(ことあまつかみ)。 ☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆ みなさん、こんにちは。 日本で(公では、)最古の書物とされている「古事記」では、 天地の開闘は、 混沌の中から分かれでたことをものがたっています。 初発の神々は、 世界の全ての源となる存在として位置づけられ 別格の存在とされています。 この最初に成った五神は、 独神(ひとりがみ)で男女の区別がありません。 いずれも、 みずから現われたにもかかわらず、 けっして姿を現わすことはありません。 見えないけれども存在しています。 「知性」の流れはじめのような雰囲気を感じさせられますが、 いかがでしょうか。 参考: 佐治晴夫 「ゆらぎの不思議」 PHP文庫 2002. 4. 6