<古事記(712年)>

last update 11.June.2002

天と地がはじめて開かれ動き始めたとき、
天上界の高天原(たかまのはら)に現われなされた神の名は、
天之御中主神(あめの みなかぬし のかみ)、
つぎは高御産巣日神(たかみ むすひ のかみ)、
そのつぎは神産巣日神(かみ むすひ のかみ)である。

この三人の神々は、いずれも単独神として、現われなさり、
はっきりとした姿をお見せになることはなかった。

つぎに、地上世界が若く、水に浮かんでいる脂のようで、
くらげのようにふわふわと漂う不安定な時に、
あたかも葦が芽を吹くようにきざし伸びるものによって
勢いよく萌え上がるものとともに現われなされた神の名は、
宇摩志阿斯詞備比古遅神、(うまし あしかび ひこじ のかみ)
そのつぎは天之常立神(あめのとこ たち のかみ)である。

この二人の神もまた、単独神として現われなさり、
はっきりとした姿をお見せになることはなかった。

以上に述べた五人の神々は、
別天つ神(ことあまつかみ)という特別の存在である。

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天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、
高天原(たかまのはら)に成れる神の名は、
天之御中主神(あめの みなかぬし のかみ)。
次に高御産巣日神(たかみ むすひ のかみ)、
次に神産巣日神(かみ むすひ のかみ)。
この三柱の神は、
並(みな)独神(ひとりがみ)と成り坐(ま)して、
身を隠したまいき。
次に、国稚(わか)く浮ける脂(あぶら)の如(ごと)くして、
くらげなすただよへる時に、
葦牙(あしかび)の如く
萌え騰(あが)れる物に因(よ)りて成れる神の名は、
宇摩志阿斯訶備比古遅神、(うまし あしかび ひこじ のかみ)
次に天之常立神(あめのとこ たち のかみ)。
此の二柱の神も亦(また)、独神と成り坐して、身を隠しき。
上(かみ)の件(くだり)の五柱(いつはしら)の神は、
別天津神(ことあまつかみ)。

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みなさん、こんにちは。

日本で(公では、)最古の書物とされている「古事記」では、
天地の開闘は、
混沌の中から分かれでたことをものがたっています。

初発の神々は、
世界の全ての源となる存在として位置づけられ
別格の存在とされています。

この最初に成った五神は、
独神(ひとりがみ)で男女の区別がありません。

いずれも、
みずから現われたにもかかわらず、
けっして姿を現わすことはありません。
見えないけれども存在しています。

「知性」の流れはじめのような雰囲気を感じさせられますが、
いかがでしょうか。

参考:
        佐治晴夫 「ゆらぎの不思議」    PHP文庫

2002. 4. 6
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